グルメというのは、とりあえず「美味しいものを愉しむことや人」としますと、愉しむことそのものと、それに繋がってくる楽しいことが思い浮かびます。
我こそはグルメなり?
たとえば、先日浅草に近い隅田川沿いの有名なうなぎ屋「M]に、古い友人たちと行きましたが、まずそのうなぎの美味かったこと。
いわゆる有名店の「評判」には、たいてい疑いをもってかかる当方も最初は「どうだか」という気持ちをもって、まずは友人たちと食を共にすることの愉しさを「喜び」とすることを第一に出かけて行ったのです。が、何よりも最初の一口で「美味い。」でした。
その友人たちも「我こそはグルメなり」と公言してはばからぬ人たちですが、私と同じようにまず「会食」する喜びを第一に考える人たちです。が、彼らも「美味い。」でした。
お酒の肴と美味しいもの
ビールや酒を進めながら、美味い「うな重」を肴とし、さらに酒を進めたく、「うなぎの蒲焼をもらえますか。」と言ったところ、「うなぎだけはありません。」との返事。
なんとなんと、極上のうなぎを酒の肴にして極上のひとときを味わいたいと思ったところ「冷や水」を浴びた気がしました。
グルメの席に「冷や水」は禁物なのですが、不可解さを隠し切れぬまま仲居さんに「どうして?」と尋ねました。
彼女ははっきりとは応えずに「お品書き」にあるだけでお願いしています、とのこと。
このことを巡り、しばらく友人たちと喧々諤々の議論を「愉しみ」、要はうなぎを単に酒の「肴」にしないで、うなぎの「食事」をしてほしい、という店主の希望があるのではないか、との結論に落ち着いたのです。
ここは「うなぎ屋」であって「酒場」ではない、と。
本当のグルメの喜び
この店を著書で紹介してくれたのは、ほかならぬあの「偉大な」グルメ、作家池波正太郎氏ですが、酒豪でもあった池波氏が、この極上のうなぎを単に酒の「肴」として食しなかったのだろうか、という「疑問」はまだ解けていません。
それでも、その店でのひと時は、まずその「美味いもの」を堪能し、親しい友人たちとの「共感」の上での議論を喜びとし、その店から眺める川面の風景を愉しみながら、「グルメの喜び」のひとときに酔いしれたのでした。
グルメは、確かに「食べ物」の愉しみではありますが、それに連なる様々の「喜び」を引き出してくれるもののように思えます。
いうまでもなく、グルメがあるところは洋の東西を問いません。
日本やアジア各地、アメリカやヨーロッパや中近東、アフリカに至るまで、それを「共感」することができる「喜び」の「世界」です。